|
by gunkei_soga |
2007年 07月 26日
知事選は小寺弘之知事の5選はならず、自民党公認の大沢正明氏が初当選した。
5人が立候補した今回の激戦には、さまざまな要因、経緯があったが、選挙戦では「継続か否か」「自民か否か」が争点、選択肢に仕立てられ、「継続」と「一党一派にかたよらない」小寺知事が敗北した。 「継続」への批判は、小寺県政の具体的な内容を俎上にあげての「継続=多選の弊害」というより、「でも長過ぎる」という、素朴な県民感情に受け入れられやすい主張に単純化された。また、自民党王国における党公認の看板は有力国会議員や圧倒的多数の県議らの政治力、裾野の広さ、プロとしての選挙技術などを全面稼動、小寺知事の「県民党」を、どたん場で追い越した。 公明党も大沢氏推薦に踏み切った。政権与党と同じ自公体制ができたことで「自民か否か」の争いは、参院選の前哨戦の色合いを濃くし、マスコミの目もそこに照準を合わせるようになった。 県政は、汚職とか新幹線、原発立地、米軍基地導入といった地域にふりかかる大テーマでもない限り、一般県民の生活とは距離のある中間的存在だ。知事がふだんから県民との直接対話を心掛けていたとしても「県政はこの人でなければ」という確固たる支持を築くのは難しい。問題がなく、安定していれば、逆に「誰がなっても同じ」という安易な態度を助長することにもなりかねない。 この県政と県民生活との距離感が、県政の内容、政策を見て選択基準にするという選挙のあり得べき姿の障壁にもなり、国政における激しい政治的対立がそのまま県政の場に持ち込まれる土壌にもなる。公明党が何故、大沢氏推薦に踏み切ったのか、県政の内容や候補者の政策面から判断しにくく、専ら支持団体の集票力の行方のみが「自公体制」の話題の中心だった。 県議会の自民党が自分たちの仲間から「群馬生まれの民間人候補」を立て、総力で知事を生み出すという点では、今回の知事選は1976年、神田坤六知事の5選出馬を押さえ、清水一郎知事を誕生させた構図と似ている。 県庁本庁舎と議会庁舎。並列した建物の5階に両庁舎を結ぶ長さ30㍍の渡り廊下がある。大沢新知事は議会からこの渡り廊下を本庁舎に押し出された。記者室脇を通って一つ上へ上がれば知事室である。自民党議員団の代表から33階庁舎の主となり、200万県民のリーダーになる。小寺県政をどう変え、何を打ち出すのか、記者だけでなく、多くの県民が目を凝らしている。 (曽我祥雄「ぐんけい録」最終回) 2007年 07月 19日
知事選は22日の投票日まで3日を残すのみとなった。気がかりなのは投票率だ。選挙のたびに下がっており、前回は37・6%。今回は5人が立候補しての激戦だけに多少は上がるだろうが、それでも「よくて40%台の後半。50%には届かないだろう」と見る人が多い。
多少でも県政に関心を持っている県民なら、現職と自民党県議団との長い間の対立。それが知事選にまでもつれ込んだ経緯などを承知し、それゆえに激しい選挙戦に無関心ではいられないであろうが、もともと県政は日常生活と直接接する場面が少ないし、知事と自民党との対立も、大きな政策的テーマをめぐるものではないだけに、意外と一般県民には知られていないのが実態だ。 しかし、だからといって「誰が知事になろうと関係ない」というわけにはいかない。誰が知事の座に就くかによって、思わぬところで思わぬ形で「群馬」全体の様相が変質し、力が弱まることもある。予期せぬ方向に向かう可能性もある。 群馬県政を任せるのにふさわしいと思う候補者がいるならば、1人の県民の責任として、必ず投票することだ。自分の1票くらいで大勢は変わらないだろうと思っては、後で悔いることになる。22日の都合が悪ければ、期日前投票を活かそう。
|